アントーン・ヴァン・ダイク「悔悛のマグダラのマリア」


私の好きな作品の一つアントーン・ヴァン・ダイク「悔悛のマグダラのマリア」について書いてみます。

1. 「悔悛のマグダラのマリア」基本情報

作者は17世紀に活躍したアントワープ出身の画家、アントーン・ヴァン・ダイク (1599-1641)とされており、彼はルーベンスの最良の弟子として知られています。
作品サイズは 99.5×73cm、キャンバスに描かれた油彩画。
1618~1620年頃の作品と言われており、マグダラのマリアが荒野での隠遁生活の末自らの罪を悔い改めると言う、絵画作品には定番の主題が描かれています。
「ルーベンス 栄光のアントワープ と原点のイタリア」展で来日しました。

2. 作者アントーン・ヴァン・ダイクについて

この作品の作者は、上記の通りヴァン・ダイクとされていますが、実は巨匠ルーベンス本人の作品ではないか?との説もあるようです。
その理由は、ヴァン・ダイクの生涯を簡単 に述べた後に説明します。

当時、16~17世紀のフランドル地方では画家は職人と見なされ、幼少期から画家の工房に弟子入りをして実践を通して学び、やがて親方資格を習得したら自らの工房を構える、というカタチが一般的でした。
しかし、親方資格を獲得した後もルーベンスなどの著名な画家の工房で助手として働くものも多かったようです。
特にルーベンスは大変な人気を誇っており、注文された絵画を全て自分で描くことができなかったので、ある程度技量のある弟子を工房に多く集め、自らの様式をまねて作品をつくらせることが多かったそうです。
ヴァン・ダイクはそのようなルーベンスの弟子の一人であり、ルーベンスが「最良の弟子」と評したように大変気に入られていたました。
彼には才能があり、工房の「見えざる手」と してルーベンスの代筆をしばしば担当していたようですが、ルーベンスが描く人物画の特徴をあまりにも見事に捉えているため、今回取り上げた作品のように作者の特定が困難な作品が多数存在してしまっています。

しかし若く有能なヴァン・ダイクは、いつまでも巨匠の模倣にとどまることは望んでいなかったようです。彼は確かに人体表現や構図など多くをルーベンスから受け継いでいましたが、同時によりエネルギッシュで素朴な独自のスタイルを形成してもいました。
それが認められるようになると彼はルーベンスの工房を去り、イギリス王室の宮廷画家などとして活躍するようになりました。そして亡くなるまでルーベンスに対して対抗心を抱きつづけたと言われています。


3. 「悔悛のマグダラのマリア」の描写について

この作品をヴァン・ダイクのものと仮定し、主題や技巧の特徴、そして私自身が実際に作品を見て感じたことを言葉で表してみます。

 まず、右下に描かれているのは香油壷であり、元娼婦だったマグダラのマリアの重要なアトリビュートです。ラ・トゥールやエル・グレコの作品のようにさらに髑髏が描かれることも多いですが、この作品にはありません。

次にマリアの容姿についてです。
ルーベンスの人体表現にそっくりです。
そのやわらかでふくよかな描き方が醸し出す官能性。上述の二人の画家とは違う、ピンク色の色白で明るい肌は若々しさと力強さを感じさせます。豊満な身体と豊かな金髪からは、ティツィアーノの影響が明確に見て取れます。

ティツィアーノの描いた胸を露にし自らの髪以外には一糸まとわない官能性の協調されたマリアの姿は、ヴァン・ダイクにも受け継がれています。
当時偉大な画家達は、技法や構図を広めるため、自らの監督下で技術ある版画家に自分の絵画を版画にさせることがありました。また、画家の意思とは無関係に偉大な作品が版画として膾炙することもありました。

ティツィアーノのマグダラのマリアもそうして版画となって普及したため、ヴァン・ダイクがこれを目にし研究したことも想像できます。
しかし、身体全体が大きな三角形を成している安定した構図はルーベンス譲りだと言えるでしょう。S字にひねられた複雑な姿勢は、鑑賞者の視線をゆっくりと上昇させる。少し透けている白い衣から、彼女のなめらかで赤みがかった肌にそって、徐々に力強く、そして「目」にたどり着きます。

この絵画で最も注目されるべきは彼女の目と表情です。
彼女の目は、顔に対して多少比率が大きすぎるように感じられます。泣きはらした目は鮮やかな赤で縁取られ、嫌でもこの絵の、そしてこの美しい女性の精神の中心にあることを語っています。

写実的、という言葉ではあまりにも物足りない生きた目と大粒の涙。
近くから、遠くから、右から左から、たっぷり時間を取って身体全体を眺めた後にふと彼女の目だけに焦点を当てると、その大粒の涙が、鼻筋をゆっくりと滑り落ちて、音を立てて彼女 の肩の上に落ちるのが見えた。それは、絵が動いたというファンタジックな体験でもな く、驚くべきことでもなく、ごく自然なことのように起こった。
それほどに彼女の目は生 きていたのだ!
最初に彼女の顔を見たとき、私はその唇に違和感を抱いた。目はまっ赤にして号泣しているのに、口はなぜか悲嘆にそぐわない。
むしろ微笑みにすら見える。これは一体どうし たことであろうか??
不可解に思いしばらく時間をとって考えてみると、ふと彼女の目線が、画面左上に少し残された明るい空を見つめていることに気付き、この絵画が捉 えたのは、まさに苦悩の終わりの瞬間なのではないかと。
心が軽くなり、罪から解き放たれ、答えを見出したその瞬間。天が彼女を再び招き入れた一瞬。
彼女の涙は、最後の涙であるに違いない。
この直後目は乾き晴れはひき、画面いっぱいに光が差すだろう。この瞬間彼女の呼吸は止まっており、体勢はまさに立ち上がろうとしているかのよう、長い時間自己嫌悪と後悔の念に悩まされた若い女性は、ようやく希望を見出した。
彼女は救われたのである。唇はその一瞬を巧みに捉えており、彼女の目は、地上のごく一般の人間である私たち鑑賞者と、高尚な存在である天とをつなぐ役割を果たしています。
そして身体を含め作品全体で、崇高な精神、そして堕落から高潔への讃えるべき飛翔が力強くドラマティックに、かつ優しく表現されています。
若きヴァン・ダイクが、ティツィアーノとルーベンスという二人の巨匠から受け継ぎ完成させた、見事な一瞬の美学です。


Winding Road

曲がりくねった道の先に待っているいくつもの小さな光( *ˊᵕˋ)ノ( ˶˙ᴗ˙˶ )•*¨*•.

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